昭和55年8月 四国
昭和55年8月18〜23日、大学鉄研の合宿で四国に行きました。
最大の目的は絶滅寸前のDF50を見ること。 その他には、あまり目立った線区や車輛も無く、地味な印象の四国だったので、撮影よりは国鉄全線乗車をめざしました。 当時の四国はとにかく交通不便なところで、急行の本数は多かったのですが盲腸線を全部乗ろうと思うと、かなり綿密な計画をたてなければなりませんでした。 事前に練りに練った計画をたてて、無事国鉄全線乗車は完了できました。 その反面、列車に乗っている時間が長かったため写真撮影はあまりできませんでした。 今回まとめようとして、その綿密な計画のメモを紛失していることに気づきました。 ネガを見てもさっぱり記憶が蘇ってきません。 何か資料はないかと探して、見つけたのが下の写真にある入場券です。当時はがんばって集めていました。 日付印が動かぬ証拠となって、時刻表とダイヤを追いながら、ネガのほぼ全てのコマの場所・日時が判明しました。 まるで推理小説の謎解きでしたが、当時の自分のクセを考えながらルートを解明してゆく作業はなかなか楽しいものでした。 入場券には帰路に寄った北条線などのものも含まれていました。 フィルムを使い切ったのか、写真も無く、これまで行ったことすら忘れていました。 何でも記録や資料は大事ですね。 |
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記録メモ代わりに大活躍した入場券たち。今では無人化された駅が多くて、寂しいことです。
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坪尻
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スイッチバックの秘境駅として今でも有名ですね。
もともとは信号所で、周囲には民家が全く無く、谷底の森の中に駅があります。 はるか上方、山の中腹の国道を走る車の気配だけが人間の存在を知らせてくれます。 時折、轟音とともに列車が過ぎ去るとまた静寂が訪れます。 |
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多度津
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四国の二大幹線である予讃本線と土讃本線が分岐する多度津は列車密度も濃く、機関区からのDF50の入出庫も見られて楽しめました。 架線のない広々とした構内は歩道橋から一望でき、活気ある様子を眺めていました。 |
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急行と特急
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気動車王国の四国では国鉄の中心列車は何と言ってもキハ58系急行。
キハ65の連結も多かったようです。 系統が多い割には編成も似たり寄ったりで、外観ではほとんど見分けがつきません。 乗客が乗り間違えないようにという配慮からか、ヘッドマークを付けていました。 全国的にはブルトレさえもヘッドマークが廃止されてゆく時代に、何とも楽しくなる列車でした。 特急は険しい四国の山道に対応するように、キハ181系が使用されていました。 |
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DF50
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宮崎や亀山からDF50が消え、最後に残ったのが四国でした。
この訪問から3年後の1983年9月には定期運用から外れ、1985年1月には全廃されました。 |
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その他
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