津駅に到着したDF50。
天王寺22:40発、紀勢本線回り、名古屋13:08着の長距離鈍行924レです。
天王寺ー新宮間はB寝台が連結され、「南紀」と愛称がついていました。
機関車の次位は名古屋工場への回送扱い、その次は和歌山市発の車輌で、和歌山で併結となっています。そのため、荷物車が間に入った変則的な編成となっています。

(写真は川崎市・樺島正人様ご提供・コメント内容は樺島様にご教示いただきました。)

この列車のものではありませんが、樺島様が調査された当時の詳しい編成記録があります。



戦前より南海電鉄では、和歌山市から国鉄に乗り入れる紀勢本線直通列車を運行していた。気動車列車も多かったが、その中で、1952年製、自社発注のサハ4801という、国鉄スハ43類似の客車が存在し、1972年まで夜行時間帯に使用されていた。これは難波から同社の電車に牽かれて和歌山市に至り、そこから国鉄の機関車によって和歌山まで、さらに和歌山からは国鉄阪和線経由で到着する924レに併結され、紀勢本線へ乗り入れるというダイヤであった。924レには天王寺ー新宮間にオハネ12、オハネフ12が連結されていた。
1972年、南海が直通の客車列車を廃止した後も、和歌山市ー和歌山間の客車列車は国鉄の客車を用いて存続し、たった1輌の客車で運行された列車は和歌山で924レと併結された。和歌山市ー和歌山はDD13が牽いていたようである。
この際、和歌山市からの客車1輌と亀山区のDF50が和歌山で待機し、到着した924レはそれまでの牽引機であるEF58に替わり、DE50+ハザが列車の先頭に連結される。そのため、上の写真のように荷物車の前にハザが入る編成となるのである。
なお、南海時代は直通の客車は新宮までであったが、国鉄に変わってからは亀山まで連結されるようになった。
また、1974年8月、マルス導入に際して924レには「南紀」という愛称がつけられた、それ以前は寝台券は発駅でのみ売られ、「924列車B寝台券」などと記載されていたとのことである。

参考資料(鉄道ジャーナル昭51年9月号、jtrain No.25、他)資料提供:樺島様



余談ですが、昭和53年10月の改正で「南紀」は名古屋ー紀伊勝浦間の特急にその名をゆずり、この鈍行は「はやたま」と改称されて昭和59年1月まで存続することなります。

この津駅のたたずまいは、現在でもあまり変わっていません。中央の待避線やテルファーが撤去され、近鉄側の駅舎が改築され、小さめのビルがいくつか建ったぐらいが変化です。
(現在の津駅は こちらを ご参照下さい。)

津 昭和53年6月4日