信楽は静かな山間の小駅でした。駅の規模の割には駅前広場が大きく、バス用の停車場所がいくつも設けられていて、まるで都会のバスターミナルのようです。売店も営業しているのでそこそこ客数はあるのでしょう。しかし、当時の時刻表では列車本数は一日に9往復、それも朝夕に集中していて、9:30台の次は13:30ごろまで列車は来ません。
画面右に見える公衆電話と自販機を拡大してみました。
公衆電話は長距離用に100円玉が使える黄色のものです。松山千春の「ふるさと」の中で、「急いで探す公衆電話、100円玉の黄色いやつ」と歌われている部分がどうも印象に残っていて、あちこち旅行中に黄色の電話器で家に電話をかけたことが思い出されます。当時は長距離通話が高価で、100円でもあっという間に時間が過ぎてしまいました。テレホンカードが出てくるのはもう少し先のことです。
自販機はビタミンドリンクのHI-Cですね。ファンタも入っているようです。この当時のファンタは250ml缶でした。ところが北海道に行くと350ml缶が売られていて、驚いたことがあります。



信楽 昭和56年8月31日