1日わずか3往復、「日中は走らない日中線」。たった4駅、走行距離11.6km、それでもきっちり走っていました。全て客車列車で、ほとんどが混合列車でした。わずかながら貨物があったことが存在価値だったのでしょう。時代の流れとともに消滅してゆくのはやむを得ないことだと思います。
オハ61系は電暖装備です。しっかりとサボもありました。

昭和54年8月17日 熱塩